しかしこのとき、インド東部がイスラム多数派地域の 東ベンガル州 (英語版) としてパキスタンに組み込まれ、1955年に東パキスタンとなったものの、遠く離れた両地域を宗教のみで統一しておくことは困難であり、やがて東パキスタンはバングラデシュとして分離独立の道を歩むこととなった。 パキスタンはイスラム教国です。 イスラム教に関することは家庭で親が子供に必ず教えます。 ... 後のバングラデシュとなる東パキスタンだったのです。 ガンジーは、ヒンズーとイスラムとが共存するインドを目指したのですが、 皮肉にもそれを嫌うヒンズー原理主義者の手にかかり暗殺され� パキスタンは、南アジアにある国で、インド亜大陸の西の付け根にあり、西はイラン、東はインドに接するシルクロード上にあり、多様な民族や文化の交流があり、古くから文明が栄えました。人口は、2億人以上ですが、そのうち24歳以上が57%を占める若い国です。英領インドから、ヒンドゥー教徒はインド、イスラム教徒はパキスタンとして独立しました。日本の2倍の国土を持ち、美しい風景と四季、豊かな土壌があり、首都イスラマバードは、「世界で二番目に美しい首都」と呼ばれています。

インド・パキスタン ... して統一インドの実現を唱えており、インド国民会議派も政教分離・世俗主義の立場から宗教 による分離には慎重で、インド共産党やヒンドゥー・ナショナリストもそれぞれの反応をみせたが、分離の勢いが止まることはなかった。 マウントバッテン総督(左)とガン� 15世紀末にポルトガル、オランダがインド亜大陸(インド、パキスタン、バングラデシュなどがある地域)に進出、17世紀後半にはイギリス・フランスが植民地を巡って争い、1757年プラッシーの戦いでイギリスが勝ち、東インド会社を通じて植民地化に成功する。東インド会社は「会社」といっても今の会社とは異なり、兵器や兵隊を備えた軍隊のようなものである。そして武力によって植民地化されたインドは、イギリス向けの綿花や茶、中国向けのアヘンなどの生産を強制され、インドの綿織物産業は …